大阪1泊旅行-ひとりぼっちの燈台-
今年の春到来は少々遅れているようですが、頬にうける風は心地よくなってきています。
春風に誘われ、大阪の南部の商業都市「堺市」を訪問しました。
これから3回にわたってミニ旅行記を書きます。
茶の湯の始祖であり、茶聖と称せられる千利休は堺出身です。
また歌人与謝野晶子の生家もここにあります。お菓子問屋のお嬢さんとして
東京へ与謝野鉄幹と駆け落ちする迄、堺で育ちました。
刃物や香料の技術も発展し、堺が商人の町として栄えたのは海路の要所であったためです。
運良くホテルの部屋からは堺港が見渡せて、ホテルライフを満喫した
切手のまめですが、
この眺望の中に、「当初の場所に現存する日本最古の木造洋式燈台」があるのです。
写真右手前や遠景に見えているのは全て工場の煙突です。さて、何処にあるのでしょうか。
正解はあとで書きます。
朝の散歩をかねて、会いにいきました。
堺港の燈台:明治10年に築造され、約一世紀の間大阪湾を照らしつづけましたが、昭和43年廃灯となりました。
昭和43年に国の史跡に指定されています。ー境まちあるきマップ よりー
比べる物がないので大きさはわかりにくいですが、窓の様子から想像してください。木造住宅の3階立てぐらいかな。
何とも可愛いと形容するのにぴったりな、小さな燈台でした。
年代不詳の絵はがきですが、当時では最も高い建造物で、堺港のシンボルだったのでしょうね。
この燈台は、堺中央郵便局の風景印にもなっています。この次行ったとき、風景印を入手しておきます。
ホテルの部屋から見た、眺望の中の燈台は
写真中央の高速道路の橋桁の間から土台だけがチョコッと見えています。
まるで、「ワタシ、ココニ イマス 絵はがき」になってしまいました。
燈台現役時代は寄港する船の案内役港のスターも、今や役目を終え海に向かってポツンと建つ燈台、
ちょっと寂しそうな光景でした。
切手の燈台をご紹介します。 アイスランド発行灯台2種
先にも書きましたが、燈台へは、会いにいくという表現が適していると感じました。
燈台クン、また来るね。
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